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2010年2月の読書量 [読書感想]

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2010年2月の読書量。月末にどっと増えているのは、ブクログと併用するようになってこちらの管理が甘くなっているから。
一番印象に残っているのはやはり「忘れられた日本人」か。
今気づいたが、「柳田国男・民俗の記述(3)」を入れるのを忘れていた。
「忘れられた日本人」「旅する巨人」(これは3月に読了)「柳田国男・民俗の記述」と読むとなかなか面白い。

「図説」シリーズもなかなかよかったが、「図説ドルイド」は推論ばかりでいまひとつ面白くなかった。
限られた資料を使い回し、「かもしれない」「なのだろうか」と文末を濁すのはいかがなものだろう。
「図説種の起源」が傑作だった分、こちらの稚拙さが際だつ。
「図説金枝篇」も面白かったが、原作の古さを楽しめるかどうかが読み手を選んでいる。
そう考えると、150年前に書かれた「種の起源」の卓越さに改めて驚かされる。

「食べる人類史」も面白かったが、途中事例の羅列になってしまったところが惜しい。
ひとつひとつの章を独立させて一冊にまとめた方がよかったように思う。
食の歴史についての入門書として捉えるなら良書。

さらりと読んで後に残らない、綿菓子のようなのが「阪急電車」。
こういう軽い読み物もたまにはいい。
あくまでも、たまには。

「土佐源氏」と「チャタレイ夫人の恋人」 [読書感想]

少し前に、「土佐源氏」を読んだ。
著者の宮本常一が調査の折りに「チャタレイ夫人の恋人」を携えようとし、それを夫人に荷物から抜かれのだそうだ。
「土佐源氏」の成立に「チャタレイ夫人…」が影響しているのは間違いないだろう。
私は、宮本氏が日本版「チャタレイ夫人…」を書こうとしたのかと思った。
そこで、20年振りに「チャタレイ夫人…」を読んでみた。

両方を読み比べてみると分かるのだが、「チャタレイ夫人…」の方は、性行為そのものにはあまり重点を置いていない。
語彙としてペニスだの尻だのでてはくるが、それだけだ。
猥褻感はまったくない。
むしろ、彼らの行為は「え、もう入れちゃっていいの?」と驚くくらい淡泊だ。
裁判になるくらいなのだから、もう少し官能的なのかと身構えたこちらが悪いのか。
「チャタレイ夫人…」はどちらかというと自然回帰や文明批判の方に重点があって、性行為はそれを導き出すきっかけのようなものだ。
拝金主義、機械文明、精神主義、産業革命。
それらの批判として自然回帰、肉体主義を唱える。

一方、宮本の「土佐源氏」「土佐乞食のいろざんげ」はどうだろう。
「土佐源氏」は性交に関する記述はかなり削られている。
「土佐乞食…」はかなり詳細に描かれている、というか性交に関する記述だけやたら詳しい。
まるで春画の地の文のようだ。
宮本はこれを創作だと言われて憤慨したと言うが、これが創作に違いないことは「柳田国男・民俗の記述」に詳しい。
評伝を読む限り、宮本はどこか、ふつう区別すべきところを区別せず、あらゆるものを渾然と一体化する力を持っていたように思う。
男と女を。自分と他人を。よそ者と身内を。子どもと大人を。あらゆる階級のひとを。
そして学問と創作を。

これを真実だと思って読むひとが、今でもいかに多いか。
創作であっても、この作品の価値は変わらない筈だ。
後世の混乱を防ぐためにも、これは創作なんだよ、と一言いってほしかったと思うのは私だけではないだろう。

風立ちぬ [読書感想]

堀辰雄著「風立ちぬ」を読んだので、読書メーターに登録しようとして、ふと引っかかった。
文中に「風立ちぬ いざ生きめやも」とあるのだが、現代語訳しようをとすると、
風立ちぬ→風が起こった
いざ→さあ
生きめやも→生きるだろうか、いや生きはしまい。(死ぬだろう)
となってしまい、「いざ」と「生きめやも」がどうにも合わない。
ちょっと調べてみたら、堀辰雄の誤訳であるという。

原文の一節は、Paul Valéry, Le Cimetière Marin (Graveyard by the Sea)の最後のヴァースの第1行で、英語でいうと、    The wind is rising: we must endeavor to live. となる。鈴木信太郎訳「海辺の墓地」(ヴァレリー全集1「詩集」、筑摩書房)では、   風 吹き起こる・・・・・生きねばならぬ。 と訳されている。

http://english-fountain.blog.ocn.ne.jp/supplement/2005/07/post_5cff.html


堀は原文を誤訳して「生きてはゆけぬ」と解釈したのだろうか。それとも「生きざらめやも」とすべきところを誤ったのだろうか。
この一節が置かれているのは、まだ恋人は存命中だから、「生きねばならぬ」は恋人への言葉ともとれるし、恋人を失ってからの自分への言葉とも解釈できよう。

個人的には「生きねばならぬ」の方がしっくりくるように思う。

―風立ちぬ いざ 生きざらめやも―
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