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2011年8月の読書量まとめ [読書メーター]

とうとう8月は読書まとめしか記事が書けなかったというていたらく。
もしも当ブログを楽しみにしてくださっている方がいるなら申し訳ない。
今月は、今調べている枕詞の事について書く所存でございまする。

とりあえずまとめを貼ってみよう。

8月の読書メーター
読んだ本の数:4冊
読んだページ数:789ページ
ナイス数:4ナイス

憑霊の民俗 (三弥井民俗選書)憑霊の民俗 (三弥井民俗選書)
 東北地方に今も残る憑霊信仰についての学術書。 巻頭に「漁師の伝承」があり、東北の漁師たちが語り継いできた口承文芸とその民俗について述べられている。  水死体を引き上げると大漁に恵まれると信じられていることはよく知られている。そのため、海難事故の被害者捜索に漁師たちは協力的であるという。  果たして漁師たちはただ、「大漁」というご褒美に釣られて捜索に協力しているのだろうか。答えは否である。海という異界に挑む漁師たちがいかに神とともにあるか、本書を通じて自ずからその理解を深めることができる。
読了日:08月26日 著者:川島 秀一
卑弥呼の食卓卑弥呼の食卓
大阪府立弥生文化博物館館長、金関恕氏が監修する、縄紋から弥生時代にかけての日本の食と食文化についての歴史解説書。各界から専門家による寄稿、金関市との対談、シンポジウムなどの文書化したものも含まれる。 読者層(聴衆)を考古学好きな一般市民、と限定しているからだろうか、平明な語り口調で大変読みやすい。
読了日:08月22日 著者:
神々と肉食の古代史神々と肉食の古代史
本書は、古代における肉食のあり方、またその禁忌の始まりについて、各資料を基に検証する歴史考察書である。古くは日常的に行われていた肉食は、いつの時代からか禁忌とされるようになった。その理由として、 【「殺生を忌む仏教信仰や、農耕で役畜として重要度が増大したことの影響もあって、日常生活でも江戸時代末ごろまでは肉食を忌み避けるのが一般的習俗だった」と説かれてきた(P2)】 と著者はいう。しかし、古代の文献や神話には肉食の記事がしばしば登場し、肉食が決して禁忌されてはいなかったことを証明する。
読了日:08月15日 著者:平林 章仁
骨が語る日本史骨が語る日本史
著者は東京大学名誉教授(当時)鈴木尚氏。 本書は、前書きにあるように『「骨」―日本人の祖先はよみがえる』の続編として書かれたものである。 遺跡から、或いは墓所から発掘された人骨を鑑定、復原することにより、当時の人びとの体型や生活の実際を解き明かす歴史書である。 『日本史』と書名にあるものの、最初に登場するのはイスラエルのネアンデルタール人の発掘記事である。したがってここは『人類史』『生活史』とでもすべきだったかもしれない。
読了日:08月05日 著者:鈴木 尚

読書メーター


『憑霊の民俗』はエンドブックスさん(@endbooks)のツイートで紹介してもらった本である。
今回の東日本大震災で亡くなった人たちの声を聴きたいと、巫女さんを訪ねる遺族が後を断たないと聞いたことがあるけれど、今も東北の人たちの心に根付いている憑霊とその民俗、習俗についての書。
地味だけれども骨太な印象が強い。

『卑弥呼の食卓』は、弥生~奈良時代あたりの肉食の実態について知りたかったので読んだ。古代遺跡のトイレ遺構の話や、奥村彪生さんの古代食復元の話が実に興味深い。まだDNA鑑定が一般に知られていないころの記事なので、今では随分学説も変わっているのではないかと思うのだが、どうだろう。

『神々と肉食の古代史』 これも、今調べている枕詞に関係して読んだもの。というのも、古代では肉を串に刺して焼いて食べたかどうかを知りたかったので。この書にも答えはなかったのだけど、それよりも内容がぐだぐだ過ぎて突っ込むのも嫌になるほどの低レベル本。自分の新説の主張と、既成の学説の否定をせんがために必死になっているのが見え見えで、古代史素人のわたしですら「それはないやろ」と呆れるほど。文章もアレレ。

『骨が語る日本史』 遺跡から発掘される人骨や、埋葬された人骨の検証を通じて、彼らの生活や埋葬のあり方、さらには食人習俗のありように言及する。前著『骨』から読むべきだったが、これも十分に面白い。伊達家三代の遺骨調査と、頭骨からの復元図がある。

グラフはこんな感じ。
読書メーター201108.jpg

今月は調べ物が多くて読書に費やす時間が少なかった。

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2011年7月の読書量まとめ [読書メーター]

なにやらブクマに入れて読んでくださっている方もいらっしゃるようなこのへんてこブログ。
週一で更新するぞと勢い込んでみたものの、後半はまったく更新せず。
申し訳ないなぁと思いつつ、先月の読書まとめをいたしましょうぞ。

2011年7月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:1734ページ
ナイス数:0ナイス

■マインドマップ問題解決―「らくがき」で劇的に身につくロジカルシンキング
マインドマップとロジカルシンキングを融合させることにより、思考の整理と有効なプレゼンテーションの作り方を指導する。 マインドマップの作り方については簡単な説明に留まっているので、本書でコツが掴めない人は初心者向けの指南書を読まれることをおすすめする。 同じ事を繰り返し繰り返し書いているのでわかりやすいといえばそうなのかもしれない。 普段、無駄を削ぎ落とし要点を明確に述べるような文に触れているためかその繰り返しが煩わしく、つい読み飛ばしてしまう。
読了日:07月31日 著者:高橋 政史
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/12535215

■骨のフォークロア (シリーズ・にっぽん草子)
死んだあとに残される骨を、ひとはどう捉え、どう扱ってきたか。 「あとがき」にて著者はこう語る。 【本書の目的は「骨」に関するフォークロア(民俗学)をグローバルに比較民俗学の視座で論じようとしたものである。しかし、当初の目的とは異なり、出来上がった本書は「骨」のフォークロアというよりも、「骨」をめぐるフォークレリジョン(民俗宗教)といった方が適切であるかも知れない。(P211)】
読了日:07月25日 著者:藤井 正雄
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/12425282

■民族学入門―諸民族と諸文化 (1963年) (現代教養文庫)
読了日:07月18日 著者:A.E.イエンゼン
http://book.akahoshitakuya.com/b/B000JAIR4C

■網野善彦著作集〈第11巻〉芸能・身分・女性
賤民として差別の対象となったひとたちに焦点を合わせ、その卑賤化の経過や実態について、諸説を参考にしつつ、独自の論を展開する。書き下ろしではなく、諸処に書いたものを集めたものなので、他の方もいうように同じ文言や例が繰り返し使われるのが眼に付く。これは「著作集」という本書の特徴を鑑みれば致し方ないだろう。透徹な視線で史実をみつめ、平明な解説文と的確な例文で中世の世界へと読者を導く好著。
読了日:07月16日 著者:網野 善彦
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/12265455

■不死身のナイティ―ニューギニア・イワム族の戦いと食人
ニューギニア・イワム族の生活と文化についての書。食人族といっても様々な層があると実感する。戦いに生き、生き残った老戦士が憐れを誘う。
読了日:07月07日 著者:吉田 集而
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/12107983

■奇想の江戸挿絵 (集英社新書ヴィジュアル版)
江戸庶民に親しまれた読本挿絵を紹介する。挿絵の所だけをぱらぱら見ているだけでも十分楽しめるところがよい。北斎の流動性溢れる描線が大変美しい。
読了日:07月05日 著者:辻 惟雄
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/12067799


▼読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/

読書メーター201107.jpg


『マインドマップ問題解決』は図書館で随分前に予約したものを漸く読んだ。
マインドマップとロジカルシンキングの融合によって、思考をまとめ説得力のある文章作りに役立てれば…との目論見から。
結局の所、書物で得た知識を活かすのは本人の能力次第かと実感。

『骨のフォークロア』
ところどころ文章がアレレなところがあって読むのがきつかった。
これほど抜き書きする箇所のない本も珍しいかもしれない。
レビューもかなり手抜き。

『民俗学入門』
終章の「自分たちを、獣に近い状態から向上してきた人類の最後にして最高の開花であるとみなし、他の人びとに対してもそのような態度をとる権利は、もはやまったくないのである。(P234)」という言葉が心を打つ。
もっと早くヨーロッパ人がこの視点を学んでいれば、古代文化を色濃く残す諸文化が今も残存していただろうにと思うと残念でならない。

『網野善彦著作集』は、中世の稚児について学びたかったので読了。
いわゆる賤民と呼ばれるひとびとが、中世では思われているよりももっと生き生きと活動していたのではないかと私はおもっているのだが、それを後押ししてくれる一冊。
得るところが誠に多かった。

『不死身のナイティ』
イェンゼンとも西丸氏とも違う民族に取材した食人族の物語。
彼らが食人習俗を持っていたかどうかに筆者が悩むところなど、吉田氏は優しい人なのだなぁと感慨を覚える。
食人習俗と古栽培文化の伝播、宗教の発生との関連はいかに。
私の食人習俗についての読書の旅はまだまだ続く。

『奇想の江戸挿絵』
ときに息抜き的にこういう本を読みたくなる。
日本マンガの原点ともいうべき挿絵の世界。
こちらも文章がときおりアレレになるのがちょっと…。
挿絵メインだと思えばよし。


ひょんなことから、古代の枕詞について調べ始めたために中世関係の読書が減っている。
興味の矛先がとっちらかってあちこちに向いてしまうのは学生の頃から変わらないが。
今月はこれをさくっととりまとめて中世関係に戻りたいなぁ。
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武神の誕生―その必然 [雑感]

さきの記事を書き終えて、少し考えていたのだけれど、なにゆえ信長は武神とならねばならなかったのだろうか。

三英傑のうち、家康は病死といわれる。
また、家康は75歳まで生きた長寿の人でもあった。
死後は孫によって神として日光東照宮に奉られており、彼が祟り神になる恐れはまずなかったといっていい。

秀吉は死因は不明だが享年は62歳。
彼も戦での死ではなく、城内で没したと思われる。
ただ家康とは違って祀ってくれる子孫はなかった。
一度は後陽成天皇によって豊国大明神として祀られたものの、秀忠によって社領没収されたという。
現存の豊国神社は明治天皇によって再興されたものだそうだ。
武将としての功績は高く、それに比して死後の扱いは低かった。
けれどもその死は横死とはいえない。
ただ無念や未練があるだけでは祟り神にはなれまい。

こうしてみると、秀吉よりも秀頼のほうが祟り神になる要素があったように思えるのだが、いかんせん武将としての功績があまりにもなさすぎる。
史実はどうであれ、秀吉の寵愛によって権力を得た母・淀殿の操り人形として人々に捉えられていたのではあるまいか。

こうしてみると、信長の武勲の高さとその死の無惨さが際立つ。
横難横死という言葉がぴたりと当てはまる。
そして、彼の子孫には、彼を神として祀る力は残されてはいなかった。
生前の功績の輝かしさと志半ばでの死、そして死後の扱いの寂しさの差は他のふたりとは比べものにならない。
徳川の治世が終わって明治を迎えるまで、信長が神として祀られることはなかった。
それまでは、彼にはただ墓所があるのみだった。
つまり、祟り神となる要素を一番色濃く持っていたのは信長といえよう。

強大な力を持つものの祟りを畏れて神として祀りあげることは往々にしてある。
疫神牛頭天王もそうであった。
疫病をまき散らす悪神は、祀り上げてその悪性を封じてしまう。
さらには、民はときにその強大な疫の力を守護に変えようとするのだ。

武将が祟り神にならぬよう、武神として祀り上げてその力を昇華せしめんとするとき、民の力では社殿を建立することはとてもできない。

すなわち、壮麗な社殿の代わりに民が武神に捧げたのが可憐にして賢明なる小さ神・蘭丸ではなかったか。
蘭丸への讃美の言葉は横死に歯噛みする武将への祝詞となり、彼をして武神へと転身せしめたのではないか。

…とここまで迷走したけれど、信長・蘭丸伝説の享受史として纏められたらなぁ…。
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童子神・小さ神の誕生 [雑感]

このところずっと、稚児文化を理解するために文献を読みあさっている。
そこで避けて通れないのが童子神信仰だ。
童子に特別の神性を感じるのは日本古来の信仰の一つである。

童子といっても女児は含まれない。男児限定である。
おなじみの金太郎や桃太郎も童子神の一つだ。
金太郎は前述の通り異種婚で生まれた神の子であるし、桃太郎も桃から生まれたとされる神の子である。

では、神の子はなぜ生まれるのだろう?
神の子が生まれる必然性とはなんだろう?

このところ、森蘭丸のことを考えている。
織田信長とともに本能寺で討ち死にした若者である。
今は「森蘭丸」として著名だ。
信長の一の寵童であり、美少年であると伝えられている。
が、彼の本名は「森成利」で、幼名は「森乱丸」または「森おらん」と書かれることが多い。
信長の寵童とされるが、信長が彼を寵愛したとの事実は確認しがたいという。
また、史書類には彼が美少年であったとの記述もないという。
(このあたり、文献にてきちんと確かめねばならない。)

なにゆえ「信長のいち近習・乱丸」が「信長の一の寵童・蘭丸」に変化したのか。

ひとつは信長が三英傑のあとのふたり、秀吉や家康に比べて「伝説」を多く持つ武将であったことと関連するとわたしは考えている。
幼い頃に乳母の乳首を噛みきっただの、父の葬儀にとんでもない恰好で現れただの、若い頃のうつけ伝説に始まり、逸話に事欠かない。
志半ばで死亡したことも相まって、彼の伝説性は他のふたりに比べて格段に高いと言えよう。

だが、武将信長が伝説的存在―武神―になるには、その神性をさらに高める必要がある。
そこで注目されたのが乱丸ではなかったか。
強大な力を持つ偉大な武神に寄り添う可憐な童子神として。

それでは、信長の傍に侍る数多くの小姓の中で、乱丸にその役が与えられた理由はなんだろう。

考えられるのは、乱丸の父可成が死亡したとき乱丸はわずか5歳であったことだろうか。
信長にとって、武功の果てに死んだ家臣の遺児にはひとかたならぬ思い入れがあったと推測される。
信長は非情かつ冷淡といわれているが、津田信澄の養育の件を見ても、子供には厳しい手段をとらなかったようである。
そこに、彼に育て神としての性格を見出すことができよう。

そして、幼くして父を失った乱丸は信長に父の姿を見たのではあるまいか。
乱丸の兄長可は父の死亡に伴って13歳で家督を継ぎ、いわばもう成人として活躍の場を得ていた。
となると、可成の遺児の中で、童子性を持っていたのは乱丸・坊丸・力丸・千丸となる。
まだ幼かった千丸以外の3人は本能寺で信長とともに討ち死にをしている。
(千丸はこの後、森家の家督を継ぐことになる。)
このうち、近習としての勤めを果たした実績があると言えるのは恐らく乱丸のみであり、あとのふたりは幼すぎたのだ。
すなわち、信長の小さ神に成り得たのは乱丸ひとりと言えよう。

そう、育て神信長に小さ神蘭丸を添えて、武神伝説は完成を見たのだ。
そこに乱丸が蘭丸へと変化する要素があった。
乱丸から蘭丸へ、その伝承の変化の様子を追っていけば、小さ神の誕生の軌跡を探ることができよう。

…今後の課題として、ひとつ置いておく。
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七夕伝説 [雑感]

今夜は七夕である。私の住んでいるところは朝から雨で、いまも雨が降り続いている。
沖縄あたりではもう梅雨も明けているだろうし、満天の星空のもとで七夕まつりができるだろう。
だいたい、本州の大部分ではまだ梅雨のただ中にあり、この夜が星空に彩られることの方が少ないに違いない。

七夕の由来は中国の織女牽牛の物語にある。天帝の娘織女は機織りに精を出していたが、牽牛と結ばれたところ愛に溺れて仕事を放り出してしまうようになった。
怒った父はふたりを川の両岸に引き離し、年に一度だけ逢瀬を認めた。7月7日になると鵲の橋を渡って短い逢瀬を惜しむという…。とここまで書いて、渡ってくるのは男と女のどちらかが気になった。
軽くググってみたがどうにも出てこない。
両岸から渡り来て、天の川の中州でデートではあるまい。
日本古来の妻問い婚をとるなら牽牛が渡ってくるはずだ。
ちょいと調べる項目としてあげておこう。

七夕伝説は異種婚説話とも深く関わっている。
松田修著『闇のユートピア』によると、「日本では、男か女か、そのいずれか一方が人間であり、それに対して今一方はほとんどつねに非人間=異類・異形・異種として語られている。人間と異類、そのアンバランスが、日本の七夕譚を支えている。」
女が異種である方はいわゆる「羽衣伝説」であり、男の方は御伽草子「七夕物語」である。ところで、異種婚の場合は女が異種であるパターンが多い印象がある。
よく知られた鶴女房もそのひとつである。

異種婚では、時として異能の子が生まれることがある。
陰陽師安倍晴明は狐の母親から生まれた。
説教節「信田妻」である。
遊女となって流浪している狐(時に白虎)の化身葛の葉は、人間阿部安名と結ばれて童子丸という男児を授かる。
童子丸は長じて安倍晴明となり、「人ならぬ力」を発揮する。

狐が女に化する話にもう一つ、「玉藻の前伝説」がある。
鳥羽上皇に仕える女官で、大変な美貌と博識の持ち主であったという。
しかし上皇が病に倒れ、その病因が玉藻の前によるものであると陰陽師阿倍康成(一説に安倍晴明)に看破され、九尾の白狐の姿となって逃亡する。

さて、こうした伝統的説話要素というのは、図らずも現代に蘇ることがある。
よくみられるのは、神の子による悪鬼退治である。
「金太郎」「桃太郎」など、こうした説話は日本には数多く残っている。
これの現代版ともいえるのが『ドラゴンクエスト』『ゼルダの冒険』に代表せられるJRPGにおける少年による魔王退治である。

異種婚による異能の子の誕生については後日纏めてみたいテーマの一つである。

では、ひとつだけここにこっそりと予言を置いていこうと思う。

「異種婚による異能の子の誕生」のひとつとして、坂田金時がある。なじみ深い金太郎さんである。
『今昔物語集』によると、山姥が夢の中で赤い竜と通じ、生まれたのが金太郎であるという。人と異種ではないが、異種間の子である。
金太郎は長じて坂田金時と名乗り、酒呑童子を退治するのである。
この酒呑童子も八岐大蛇と人間の娘との間に生まれた異種婚の子であるという。

先の「玉藻の前伝説」と同様に、異種婚の子による異種婚の子の征伐である。
こうした、毒を以て毒を制す型の説話は他にも在るのだが、今は割愛する。

江戸時代の歌舞伎の一作品に、津打又左衛門作「長生殿白髪金時」という作品がある。どんな作品だったか調べているのだが、今のところ残念ながらその内容がとんと掴めない。題名から恐らく白髪の金時が出てくるのだろう、とは思うのだが。
金太郎と白髪を結びつけるのは、恐らく母親である白狐から来ているのだろう。
付け加えると古来日本人はアルビノに何らかの聖性を見出してきた。

ここまできてぴんと来られた方もいるだろう。

松田修の言葉を借りるなら、「異装こそが聖性の証左」である。
そして、「三日月、十の字さまざまの傷あとも、また神の異装として、つまり聖痕(スティグマ)として受容される」。

すなわち、異種婚によって生まれた異能の子には、人ならぬ力が備わり、同時にある種の聖痕を認めてもよいことになる。
金太郎の場合は赤ら顔であろう。
普通生まれたての赤子は文字どおり赤い顔をしているが、すぐに肌色になっていくものだ。
そして江戸には白髪の金太郎として蘇る。
さらに、現代に於いては。

マンガ『銀魂』の主人公、人としてはあり得ぬほどの膂力をほこる、坂田銀時である。
アニメ版では銀髪となっているが原作では白髪であり、それゆえ「白夜叉」の異名を持つ。
彼の出自は今のところ不詳のようであるが、彼の母親はアマントではあるまいか。
更にいうなら、白狐である可能性は非常に高い。

…間違っていたら速攻で消してしまうかもしれないけれど。

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2011年6月の読書量まとめ [読書メーター]

今年も半分過ぎてしまった。
学生時代以来の読書ブームであるが、最近では中世寺社文化・稚児文化へと偏りつつある。
どうしても現代的倫理観から語られることのある稚児文化に、別の視点で光を当てられまいかと迷走中である。

さて、まとめを貼ってみよう。

6月の読書メーター
読んだ本の数:11冊
読んだページ数:4142ページ

童子考童子考
日本人はなにゆえ小さいものに心惹かれるのか。古く五世紀にまで遡る、「ちいさいひと」たちのもつ呪力と神性を語る。  小説に、ドラマに描かれる牛若がなにゆえいつも小柄な少年で、女衣をかづき、高下駄を履いて笛を吹いているのか。  一寸法師はなにゆえ足駄の下から三条の大殿を呼ぶのか。  そして神話の時代から連綿と続く太陽と水の戦いと、その行方は。
読了日:06月30日 著者:郡司 正勝
ネコと魚の出会い―「食」から探る人間と文明の未来 (角川選書)ネコと魚の出会い―「食」から探る人間と文明の未来 (角川選書)
読了日:06月26日 著者:西丸 震哉
今東光代表作選集〈第5巻〉 (1973年)今東光代表作選集〈第5巻〉 (1973年)
読了日:06月25日 著者:今 東光
山だ原始人だ幽霊だ (1977年)山だ原始人だ幽霊だ (1977年)
読了日:06月23日 著者:西丸 震哉
ひらがな日本美術史〈2〉ひらがな日本美術史〈2〉
読了日:06月20日 著者:橋本 治
逸脱の日本中世 (ちくま学芸文庫)逸脱の日本中世 (ちくま学芸文庫)
読了日:06月16日 著者:細川 涼一
異神―中世日本の秘教的世界異神―中世日本の秘教的世界
読了日:06月13日 著者:山本 ひろ子
五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語 (新潮選書)五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語 (新潮選書)
読了日:06月07日 著者:小林 登志子
江戸の少年 (平凡社ライブラリー)江戸の少年 (平凡社ライブラリー)
読了日:06月04日 著者:氏家 幹人
少年愛の美学―稲垣足穂コレクション〈5〉 (ちくま文庫)少年愛の美学―稲垣足穂コレクション〈5〉 (ちくま文庫)
読了日:06月03日 著者:稲垣 足穂
中世の秋中世の秋
読了日:06月01日 著者:J.ホイジンガ

読書メーター


グラフにするとこんな感じ。

読書メーター201106.jpg

どうやら、この稚児ブームは「少年愛の美学」が発端のようだ。
ここで稚児灌頂という儀式のことを知り、そこから芋づる式に稚児関連の本を読みあさっている。
稚児関連でいうと、『童子考』『今東光代表作選集第五巻』『逸脱の日本中世』『ひらがな日本美術史』がそれである。
『江戸の少年』はどちらかというと稚児そのものというよりは日本人にとって「少年」とはなにか、について知りたかったので読んでみた。『童子考』もその「少年学」と結びつく重要な書であった。

西丸震哉氏の著作が二冊。これはわたしの読書テーマのひとつ「食人俗」について知りたかったので読んだ。だが、「さらば文明人」ほどのインスパイアはなかったのが残念。

『中世の秋』はヨーロッパ中世の文化について。賤民といわれたひとたちの果たした役割について、もう少し知りたいものだ。日本もヨーロッパも、中世はまるでダンジョンのように暗闇に包まれていて、そして宝物が詰まっている。

『五〇〇〇年前の日常』は、これもわたしの読書テーマのひとつ、「『今時の若い者はなってない』という批判がいつ、どこで始まったか」を知るために読んだ。これがメソポタミアの古文書にあるとネットで知ったのだが、残念ながらこの書にはなかった。

7月も絶賛読書中である。さて、「稚児文化私論」を纏められたらどこかのブログにでも載せようかと思っている。
ここは雑感置き場なので、別のブログサービスを使うだろう。
たぶん成人向きの内容も入ってくると思うので…。FC2あたりだろうか。

掲載が始まったらここにてお知らせいたします。

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恐怖の大王

 わたしが子どもの頃、「ノストラダムスの大予言」なるものが流行した。曰く、「1999年7月、空から恐怖の大王が降ってくる」という有名な文言と共に。
 かつて、米ソ冷戦時代においては「恐怖の大王」は核兵器と言われた。それからオゾン層の破壊に注目が集まると、「恐怖の大王」は紫外線だと言われた。まだ子どもだったわたしは、壁に貼られた20世紀カレンダーの2000年のところを見ては、この年が本当に訪れるものかと嘆息したものだ。
 そして我々は無事に運命の年を乗り切った。
では、恐怖の大王はどこかに去ってしまったのだろうか…?

 近年は、地球温暖化による気温の上昇が「恐怖の大王」と見てもよいだろう。太陽の活動が低くなる時期にさしかかっていると言うが、温暖化と相まってくれまいかと思うほど、今年の夏も暑そうだ。そして、福島からの放射能は、海流と気流に乗って海から、空から全世界に届けられる。これも「恐怖の大王」とみてもいいかもしれない。
 これらすべては人工物と、人類による環境破壊からくるものばかりだ。となると、結局の所「恐怖の大王」のさらに元凶は人類ということになりはしないだろうか。
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中世の恋 [雑感]

ホイジンガは、『中世の秋』において、彼らの悲恋は身も心も許しあった恋人たちが死によって引き裂かれることにあり、決して恋の成就がなされなかったことにあるのではない、とした。

悲しく終わる古代の恋物語の、その悲しみの基調は、満たされぬ恋の想いにあるのではない。すでに身も心もひとつになった恋人たちを死がひきさく残酷な別離にある。(略)悲嘆の情は、満たされぬ官能のうずきに発するのではない。悲しい運命が涙を誘うのである。(P225)

『小柴垣絵巻草子』において、斎宮は男に恋するやいなや、その肉体を以て彼を誘惑する。つまり、恋=肉体関係の成就である。
そこには告白しようかすまいか、といった懊悩はない。
斎宮としての自分の立場を鑑みたり、あるいは告白して断られたらどうしよう、などという葛藤はない。
実に即物的な、恋=相手を乞うこと、恋の成就=相手を手に入れること、の図式が見える。

となると、能曲『卒塔婆小町』における深草の少将の苦しみは、九十九夜の長きにわたる叶わぬ恋の悩みにあるのでななく、小町が彼の思いに答えてくれなかったこと=肉体関係が結べなかったことにあったのではないか。

最近中世関連の本を読んでいるので、ちょいと思いついたまで。
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2011年5月の読書量まとめ [読書メーター]

読書メーター201105.jpg毎月の読書量のまとめができることが読書メーターの最大の利点だ。
ブクログにもグラフはあるけれども、わかりやすさで読書メーターに軍配が上がる。
反対に、ブクログは読書感想に字数制限がないところがよい。

折角まとめがあるから貼ってみよう。

5月の読書メーター
読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1362ページ

さらば文明人―ニューギニア食人種紀行さらば文明人―ニューギニア食人種紀行
読了日:05月22日 著者:西丸 震哉
おとぎ草子 (講談社学術文庫 (576))おとぎ草子 (講談社学術文庫 (576))
読了日:05月15日 著者:
パリ職業づくし―中世から近代までの庶民生活誌パリ職業づくし―中世から近代までの庶民生活誌
読了日:05月09日 著者:F. クライン=ルブール
殺された女神 (1977年) (人類学ゼミナール〈2〉)殺された女神 (1977年) (人類学ゼミナール〈2〉)
読了日:05月09日 著者:アードルフ・E・イェンゼン
お伽草紙 (新潮文庫)お伽草紙 (新潮文庫)
読了日:05月06日 著者:太宰 治

読書メーター

読書メーター201105.jpg

ジャンルがめちゃくちゃなのは私の興味の方向がとっちらかっている証拠である。
『さらば文明人』と『殺された女神』は食人という風習に興味があったので。
すべての民族が宗教と歌をもっている、と私は思っていたのだけれど、宗教を持たない=死を恐れない民族があることが驚きだ。
食人俗についてはまだまだ知らねばならないことが多すぎる。

二冊の御伽草子は、子どもから「うりこ姫」ってどんなだっけ」と訊かれたことがきっかけで読んだ。
以前から中世の文化や文芸に興味があったので、またこれも読書テーマのひとつになった。
さらにヨーロッパの説話や昔話を読んでみたくなった。

『パリ職業づくし』は最近発行された山田養蜂場氏の同人誌『13世紀のハローワーク」の種本のひとつである。
種本と言うよりほとんど丸写しに近い部分もあり、著作権の問題としてどうだろうと疑問を抱いた。
それでも『13世紀の…』は大変興味深い同人誌なので、続編を期待している。

2011年4月のまとめ [読書メーター]

ブクログにレビューを書くのに注力してしまってこちらがすっかり疎かになっている。
レビューも最近では単なる読書感想というより、読後の雑感が多いので、こちらに載せる文章と分けていかなくてはと思うのだが。

今月もなかなか中身の濃い読書内容だった。
「物いふ小箱」と「記憶と健忘」が印象深い。
「物いふ小箱」は、初めて読んだ森作品。日本語の美しさ、日本人の心の美しさに感慨が深い。
「記憶と健忘」は、医学の専門書。覚えること、忘れること、思い出すことの3点について、深く心理が影響していることが興味深い。

ひとの心という目に見えないが確かに存する働きの奥深さに思いを寄せさせる書であった。
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