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仮想現実の功罪 [雑感]

東京都の愚条例、青少年うんぬん条例はどうやら可決される見込みらしい。

まったくくだらない条例なのだけれども、条例が提案され、可決にまで至らんとするその過程を検証し、なにがそれを可決にまで至らしめるのかを考えなければ、ただ声高に反対を叫んでみても効果は薄いのではないだろうか。

ひとつには、創作物の人物を、それは創作物であって実在ではありえないと思えず、まるで本当にそんな人物がいるかのように勘違いする人がいること、またそれによる犯罪が起きている事への怖れがあるのではないだろうか。

以前、東京で起こった、女性バラバラ殺人事件もそうだ。
同じアパートに住む女性を監禁して性奴隷にしようと自室に連れ込んだものの、抵抗にあって殺してしまい、遺体の処理に困ってバラバラに刻んだ挙げ句トイレに流してしまった、という事件だ。

遺体を切り刻み、トイレに流しつつ、そのトイレで加害者が用を足していたのかと思うと、その被害女性の無念が思われて止まない。

監禁→性奴隷とかいうものは、AVやAGの世界にのみ存在しうるものであって、現実世界にはありえない。
普通の成人ならそれくらいの判断はつくものだ。
しかし、この加害者は社会人としてこの世にありながらその真っ当な判断さえつかなかったというのはどういうことだろう。

普通の女性は、たとえ軽微なものであっても性被害にあったらひどく傷つくし、まして監禁や強姦などで喜ぶ人などありえないが、それをリアルな動画やゲームで見ているうちに、それが現実にありうるものと受け止めてしまったのだろうか。

映画「アバター」を見た人が、現実世界の醜さに愕然として鬱状態になることがある、というのとどこか重なっていると思うのは穿ちすぎだろうか。

仮想現実と呼ばれるリアルな創作物は、ひとに大きな楽しみを与えてくれるものだ。
ありそうであり得ない世界に遊ぶことは、時に心を奪うほどの喜びを与えてくれる。
が、その反面、それらは現実世界の在りようから目を背け、現実を見誤らせる危険があることを、われわれは今一度鑑みなければならないのかもしれない。

現実は現実、仮想は仮想として捉えなければならないこと。
仮想および創作物は、すなわち作り物であり、また張りぼての世界であり、現実にはあり得ないということ。
しかし、あり得ないからこそそこに無限の楽しみがあるということ。
簡単なようでいて、難しいのだろうか。
タグ:仮想現実
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